宝塚の雑記

「夢現無双/クルンテープ」某貸切公演を観劇して。

こんばんは。

七咲ぴえるでございます。

先日、月組公演「夢現無双/クルンテープ」の3回目の観劇に行ってまいりました。

3回目と言いつつも、初回は正規キャスト(海乃美月さんは当初の発表通りショーを休演されていましたが)、
2回目は月城かなとさんがショーのみ休演しての初回の公演、
そして3回目は月城くんがお芝居も休演されていたので、
結果的に3回とも違うキャストでの回を観劇することになってしまいました。

それぞれ一回ずつなので、代役での違いなどをじっくり感じるほどには至っていないのですが。

おそらくこの代役公演においてもっとも大変なのは、
新人公演でも主演を務めている中で、
お芝居で月城くんの代役を務めている風間柚乃さんだと思います。

けれど風間くんの舞台度胸のすごさゆえなのか、天性の才なのか、
まったく動じている様子も感じさせずにあの学年でただただ見事と思わされました。

でも、もしかしたら風間くんは動揺とか不安が顔に出づらいタイプなだけで、
実際は相当に不安を抱えながら舞台に立たれているのかも知れません。

 

それからもう一人、大きな変化を感じたのが蘭尚樹さん。

2回目に観た回は代役公演になって初回の日だったのですが、
初めてパレードの階段降りでセンターに入った蘭さん(両サイドに娘役さんと並んでの3人降り)、
おそらく相当緊張されていたのでしょう。

笑顔で歌いながらも何度も足元を確認しながら大階段を降りる姿に、
初めて大階段の真ん中を歌いながら降りるのって計り知れない緊張なんだろうなと改めて感じました。

しかも本来であれば初日前に舞台稽古とかで何度か練習できるけど、
今回は代役での急なセンター降りでしたもんね。

そんな蘭さんが、次に見たときには見違えるほどに堂々と大階段を降りていて。

足元も、最後の段を降りるときにちらっと目線が下がった程度で(これは上級生もよくある)、
たった2週間の間にこれだけ成長していたんだなと込み上げるものがありました。

でも、代役の方々をただ讃えて「尊い」と美談で終わるのではなく、
今の公演スケジュールや演出などが本当に怪我や体調不良を防ぐために十分なものなのか、
今一度立ち止まって考えて欲しいとも思ったりします。

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準トップスター・美弥るりか

で、今回は某貸切公演だったのですが。

司会を務めたフジテレビの笠井アナウンサーが何度か口にした、
「準トップスター」という言葉がちょっと話題になっていましたね。

これはこの公演で退団される美弥るりかさんを指しての言葉で、
「準トップスターの美弥るりかさん」と、僕が覚えている限り2回ほどおっしゃっていた気がします。

「準トップスター」あるいは「準トップ」という表現は最近聞かなかったので、
たしかに「あれ?その呼び方しちゃっていいのかな?」と思いました。

ただ、結論から言うと、
僕は別にこの「準トップスター」という言葉を使った笠井さんを頭ごなしに非難するつもりではありません。

 

「準トップスター」という言葉が公式に使われていたのがいつの時代かは正確には知らないのですが、
僕が宝塚ファンになった2003年にはまだ普通に聞く言葉でした。

ただ、それが公式に使用されていたのか、
単に以前の名残りとして使われていた通称だったのかは分かりません。

もっと昔からファンだった方に聞いた話によると、
昔は二番手ほぼイコール次のトップというのが普通の流れだったので、
「次期トップ」という意味で(公式かどうかはともかく)「準トップ」と呼ばれていたとか。

けれど、特に新専科制度ができてから、
「組における二番手」と「公演における二番手」がイコールではないことが多くなったり、
「二番手ポジション」の人がトップにはなれず退団することも多くなったことで、
「準トップ」という言葉が使われなくなった、あるいは避けられるようになったのではと。

 

それからしばらくして、「準トップスター」という言葉が公式に使われたことが一度だけあったと記憶しています。

それが、月組トップスターに龍真咲さんが就任したときの明日海りおさん。

龍さんのトップ就任の発表と同時に、
「明日海りおを準トップスターとします」ということが明記されて発表されました。

それから2公演は龍さんと明日海さんが異例の主役を役替わりという公演があったりして、
この「準トップ」という、その時代だけを見たら謎の制度に少なからず苦い思い出のある人もいるため、
昨日の笠井さんの「準トップスター」という言葉に抵抗があった方も多かったのかなと思います。

 

もう一つの理由は、何より美弥ちゃんが二番手で退団される公演でその言葉が使われたことにあるのかなと。

すごく複雑な感情なので言葉で表すのは難しいのですが、
美弥ちゃんほどの人気があってトップスターになれないのであれば、
もはやトップスターという肩書きにどれほどの価値があるのだろう、と思ってしまうことがあります。

「美弥るりかは、私にとっては立派なトップスターです」と思って見送るファンの方も多いことでしょう。

でもそれを公に言ってしまうと珠城りょうさんを始めとする現トップスター、
および歴代のトップさんたちを否定するようにも聞こえかねないので、
感情のままにいろいろ言ってしまうのは気を付けなくてはと思うのですが。

そんな複雑な気持ちを抱えたファンにとっては、
「準トップスター」というデリケートな肩書きで美弥ちゃんを呼ばれたことが、
今の感情を逆なでしてしまったとしても無理はないと思います。

 

僕自身、今でも昔聞いた名残りで二番手のことを「準トップ」と言ってしまうこともあるし、
そう言えば昔は三番手のことを「準々トップ」と呼んでみたりしたこともあったような(あくまで個人的にです)。

ただ、やっぱり貸切公演の司会としてその言葉を使って全く問題ないかというとちょっと難しいところなので、
こういった場では事前に現在公式に使われている表現かどうかというのを、
ちゃんと確認する必要があるのではないかなという気もします。

自分の記憶が間違っていなければ、
開演前の挨拶のときに1回、終演後のたまきちくんへのインタビューの際にもう1回「準トップ」という言葉を使用していた気がするので、
1回目のあとに「準トップという呼び方は控えていただけますでしょうか」と劇団側が裏でお願いしてくれていたら、
ただの言い間違いとしてここまで火が点かなかったかもしれませんが。

でも、最初に言った通り笠井さんを非難するためにこの記事を書いているわけではないので、
「笠井さんはいつも××!!」みたいなコメントはどうかお控えくださいませ。

複雑な気持ちを抱えたのは僕も同じですが、
今は人の怒りまで処理する気力は無いのです。

 

そういえば一時期は、「トップスター」という呼び方さえされていなかったことがあった気がするんですよね。

では何て呼んでいたかと言うと、
「主演男役」「主演娘役」と呼ばれていたような。

トップ就任発表のときも、
「☆☆が○組の次期主演男役(あるいは主演娘役)に就任することが決定しました」という文面で発表されていたかと。

でもなんやかんやファンの間では「トップスター」とか呼ばれていましたし、
結構すぐまた「○組トップスター」という呼称に変わったような気もします。

まだ今ほどSNSが普及していなかった、
今よりも世界が世界に対して寛容だった時代のお話です……。

「報われて欲しい」

大学時代、言語学の教授が言っていてすごく印象に残っている言葉があります。

「言葉なんて無力である。いくら綺麗な言葉で取り繕っても現実を変えることはできないかも知れない。けれど我々は、それでも言葉によって救われることがあるし、言葉によって傷付くこともあるし、言葉がどれほどの力を持っているかも間違いなく知っているはずである」

 

肩書きに限らず、言い方ひとつで意見が対立してしまうことってたくさんありますよね。

誰かにトップになって欲しいことを「報われて欲しい」と表現すると、
「トップになることだけが全てじゃない」
「トップになれなかったら全てが無駄みたいに言わないで欲しい」
「そもそも報われるって何?」
という議論が起こるのを何度も見てきました。

これ、宝塚ファンのすごい温かいところだと思うんですよね。

自分の応援してきた人が例えトップにはなれなかったとしても、
舞台の上で輝いていてくれればいいし、本人が幸せであることが一番大切だと感じられること。

なのでそれに反論するつもりは一切ありません。

僕自身、「トップになれなかったからって報われなかったわけじゃない」と聞くと、
毎回「そうかも知れないなぁ……」と考えさせられます。

 

一方で、いつもそれと相容れなく浮かんでしまう思いもあります。

もしも自分がタカラジェンヌだったと仮定して、
すごく努力して苦労して、二番手や、あと少しでトップになれそうなところまで登りつめて、
最終的にトップにはなれずに退団することになったら。

そこで100%の満足感を感じていたら、
「トップになることが全てじゃないよ」と言ってくれるファンの方がいたら、
すごく救われると思います。

でも、もしも自分で納得がいっていなかったり、
満足感よりも悔しさをずっと多く抱えて退団するとしたら。

「トップになれないなんておかしい!」と、
いっしょに悔しがってくれる人、いっしょに憤ってくれる人がいてくれたら、
それもきっと救いなのではないかと。

僕は自分が納得できない仕打ちを受けたときにその気持ちを隠していたら、
「まぁ、ピエールが満足してるならそれでいいよね」と言われて、
「(本当は悔しいんだよ!誰か気付いてよ!)」と、
逆にその悔しさを共有してもらえなかったことが悲しかった経験があります。

だから、無理して笑っているように思える人がいると、
いっしょに悔しがってくれる人も必要なんじゃないかと勝手に考えてしまうこともあり。

けれどどんな気持ちで退団するかは生徒さんによって違うはずですし、
どちらが正解というものではないんだと思います。

満足しているか、納得できていないか、
それはご本人に聞かないと分からないですし、
少なくとも宝塚という世界においては現役のタカラジェンヌが後者の感情を赤裸々に語れることはないでしょう。

だから結局のところ、
「こうやって応援することが一番相手にとって幸せなはず」と、
自分が一番誠実だと信じる形で応援するしかないのだと思います。

もちろん、それを他人にも強要するようなことがあってはいけないという前提ですが。

自分が本当に誠意をもって考え抜いて選んだ言葉であれば、
それが相手にも伝わってくれると信じたいです。

 

あと一週間で、美弥ちゃんが宝塚を卒業する日がやってきます。

無事にライビュのチケットが取れたので(例のごとく強運の姉が当ててくれた)、
千秋楽は某映画館にてサヨナラショーを見届けた後で最後のお見送りにも向かえる予定です。

ファンのいろいろな思いを背負って宝塚を卒業する美弥ちゃんにとって、
2019年6月9日が、宝塚生活で一番幸せな一日だったと思ってもらえる日になることを願って、
残りわずかな「男役・美弥るりか」の姿を目に焼き付けたいと思っております。

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