7月2日は侑輝大弥さんの誕生日です。
こんにちは。
宝塚男子ピエールです。
7月2日は、花組の侑輝大弥さんの誕生日です。
侑輝さんは2016年に初舞台を踏んだばかりの102期生。
「おとめ」によると好きな花は「菜の花、桜」、
好きな食べ物は「和菓子、納豆」、趣味には「太鼓」とあり、
非常に和の心を愛する方だというのが感じられます。
ちなみに花組の102期生といえば、
「ハンナのお花屋さん」でタイトルロールを演じることが分かって話題の舞空瞳さんがいらっしゃいますね。
そんな7月2日がどんな日か調べてみますと。
1582年7月2日。
「1582=いちごパンツ」と聞けば何となく察した方もいらっしゃるかも知れません。
本能寺の変で織田信長に謀反を起こした明智光秀が、
「三日天下」の果てに羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れたのが7月2日だそうです。
ちなみに「三日天下」と言われていますが、
実際は光秀が敗れたのは本能寺の変から11日後のことだったらしいです。
でも3日でも11日でも天下を取ったんだからすごいじゃんって思っちゃいますけどね( ̄∀ ̄)
それから宝塚とはまったく関係ないのですが、1994年7月2日。
サッカーワールドカップのアメリカ大会で、
オウンゴールを決めてしまったコロンビア代表のアンドレス・エスコバル選手が、
帰国後に射殺されるという悲劇が起きました。
このアメリカ大会のワールドカップって、
ピエールが一番最初に見た記憶が残っているワールドカップなんですよね。
その中でもこの射殺事件はすごく衝撃的でよく覚えています。
コロンビア代表はこのオウンゴールもきっかけとなり予選リーグ敗退となり。
コロンビアは世界最悪レベルの殺人発生率だったため、
敗退が決定したあとも多くの選手はアメリカに残って帰国を拒否していたらしく。
しかしコロンビア代表の主将でもあったエスコバル選手は、
「自分は帰国してファンやマスコミにあのオウンゴールについてちゃんと説明する義務がある」と、
たった一人コロンビアに帰国する決意をしたそうです。
けれど、そんな勇敢な行動があの悲劇につながってしまったんですね……。
日本代表も試合に負けると厳しく非難されはしますが、
せいぜい水をかけられる程度でここまで命の危険にさらされるほどではない国だと思います。
決してコロンビアのような状況が良いものではありませんが、
文字通り命がけでサッカーをやっている人というのが世界にはたくさんいるんだなと、
子どもながらに感じた事件でした。
そして7月2日生まれの有名人を探してみたところ、
1952年7月2日生まれの小柳ルミ子さんがいらっしゃいました。
小柳さん、実は宝塚出身だってご存知でした??
ピエールは初めて知ったとき「えっ!?(゚∇゚;)」ってすごい驚きました(笑)。
1970年初舞台の56期生で、
同期生には元雪組トップスターの麻実れいさんや元専科の萬あきらさんがいらっしゃるそうですが、
何と初舞台からわずか2ヶ月で退団してしまっていたそうです。
それから7月2日に亡くなった方を見ていたら、
「1999年7の月の恐怖の大王」で知られるノストラダムスが1566年7月2日に亡くなったそうです。
1999年ってピエールがちょうど高校生のときで。
その10年前くらいから、この「ノストラダムスの大予言」の1999年に何が起こるんだろうとすごい話題になっていたんですよ。
こういうのを一番真に受ける年頃だったのもあって、
結構ガチで1999年7月が来ることに怯えていまして。
あれって、結局何だったんだろう……(笑)。
ということで侑輝さん、誕生日おめでとうございます!ヾ(* ̄∀ ̄*)ノ
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