シャロンが好きになれない理由(「琥珀色の雨にぬれて」感想その2)
こんばんは。
宝塚男子ピエールです。
ということで本日は、雪組新トップコンビ望海風斗さん(だいもん)と真彩希帆さんのプレお披露目公演、
「琥珀色の雨にぬれて」の感想の続きを書かせていただきます。
ピエール、この「琥珀」は今までスカステで観たことあったつもりだったのですが、
やっぱり生で観るのと違ってちゃんと通してガッツリ観ていなかったようで。
今回初めて生で観たことで、ようやく「こういう話だったか~」というのが分かったような気がします。
ちなみにプログラムに書かれていた、演出を担当された正塚晴彦先生の言葉にこんなものがありまして。
「クロードとシャロンの大人の恋愛ーー。それは、夢物語のように人生のほんの隙間に起こるラブ・アフェアです」
これを読んだときに、一つ引っかかっていたものが納得できた気がしたんです。
宝塚で(というかドラマでも映画でも何でも)一つの物語を観るときって、
どうしてもそれが人生最後の恋のようにとらえてしまうんですが、
この「琥珀」はそうではなくて、あくまでクロードやシャロンが人生の「隙間」で出会う恋の一つなんですよね。
すなわち2人はこの物語の後にそれぞれの生活に戻って行くわけで、
言うなればこの物語に明確な「エンディング」は無くてもいいのかなと。
そういう捉え方をしたときに、これまで「琥珀」に抱いていたモヤモヤがちょっと消化されたと言いますか、
この物語はクロードとシャロンが通り過ぎた時間の一つに過ぎないんだな~という新たな解釈に辿り着いた気がしました。
しかしたぶんこの作品はちょっと観ただけでは理解しきれないというか、
ストーリー自体はシンプルなので分かるんですが、
おそらく登場人物たちの気持ちを理解するのが難しい系の作品だと思うんですね。
なのでこれから書くことは、それこそ初演からの「琥珀ファン」の方とかにとっては、
「ピエール全然分かってない」と思われてしまうこともあるかも知れませんが、
あくまで「ほぼ初めて観た人が表面的に感じたこと」として受け止めていただけたらこれ幸いと……。
だいもんとクロード
だいもんはすごく真面目さとピュアが滲み出ている人というイメージがあって、
おそらく疑うことなくいろんなものを真正面から受け止める人だと思うんですね。
この作品のクロードという主人公は、フランソワーズという婚約者がいながらシャロンに心惹かれて、
しかもまったく悪気も無さそうにシャロンとあっち行ったりこっち行ったりする姿が描かれていますが、
いまいち「俺、今悪いことしてる……」みたいな罪悪感を感じてるようには見えないのです。
そこが、特に不倫という行為に対して異常なまでの厳しさを見せる現代日本の感覚で言うと理解できないのですが、
たぶんクロードはシャロンのことを考えているときは別に悪いことしてるっていう感覚が無いのではないかと。
こういう人って結構いますよね。
たぶん光源氏とか勝新太郎さんとかそうだったんじゃないでしょうか(笑)。
不倫って背徳感が非日常のスリルになって酔って溺れていってしまう人と、
そもそも別に悪いことしてる感覚が無いという人に分かれると思ってるんですが、
たぶんクロードは後者なんじゃないかと思うんです。
フランソワーズを目の前にしたときだけ申し訳なさそうな顔になるクロードは、
たぶん「婚約者がいながら別の女のもとへ行こうとしていること」を悪く思ってるわけじゃなくて、
ただ単に「(浮気相手の有無に関係なく)フランソワーズの気持ちに応えられなくなった自分」を申し訳なく思ってるだけのように見えました。
これって非常にゲスイ男に思えるんですが、
見方を変えれば人間として自分の感情に対してすごい純粋な人とも言える気がして(でもやっぱりゲスイ)。
そんなある意味ピュアが突き抜けた感じのところが、
だいもんという人からにじみ出るピュアさともハマってる印象でした。
それにしてもフランソワーズがクロードに言う、
「あなたは今日は列車に乗らなかったけど、いつか乗るかも知れないわね」みたいな台詞。
あれは男心にグサッと来ますね~( ̄∀ ̄;)
ちなみに誰も興味無いと思うんですけど、
一生独身で生きていくと思われるピエールは、ゆえに浮気とも無縁の人生かと思いますが、
もし浮気する機会が訪れた際には脳内で「恋してしまったのだ~君に~」って歌おうと思います(笑)。
そうそう、この「琥珀」って作品自体は共感できないところもあるんですが、
楽曲はホントに美しい曲がたくさんありますよね。
何十年も前の作品なのに今聴いても色褪せないのは、
名作と呼ばれる所以なのかな~と思いました。
真彩さんとシャロン
一方のシャロン。
ピエール、どうしてもシャロンという女性が好きになれないのですが、
今回初めて生で見ていて何となくその理由がひとつ分かった部分がありまして。
シャロンってたぶん自分のことを「私は自分の好きなように生きるの」って思ってるタイプだと思うんですが、
彼女の行動を見ていると本当にそうなのか?と思えてくる部分が多々あって。
例えば「激情」のカルメンとかって、本当に自分のしたいように生きていて、
自分の欲求が満たされると喜び、不足があるとイライラしちゃう分かりやすい人だと思うんです。
はっきり言ってカルメンも相当性格に難のある女だと思うんですが、
まだそれでも「しょうがないな~、どうにかしてあげたいな~」って可愛く思えるんですよ、
なぜなら彼女の望みを叶えたら喜んでくれるから。
でもシャロンもそうかと言うと何か違っていて、
何をしても満たされない、やりたいことをやっているように見せて実は別にそれを望んでるわけではないという印象があり。
例えば森の中でタンゴを踊りたいから取り巻きの男に蓄音機を運ばせてまでそれを実行に移すという滅茶苦茶な人なわけですが、
それをやってるときもシャロンって別にあんまり楽しそうじゃないんですよ。
これがシャロンを好きになれない理由で、
「あたしはやりたいように生きるの~」って顔をしておきながら、
「でも君が本当にやりたいことはこれじゃないだろう?」って思わずにいられない、
散々人を振り回しておきながら「何かコレ違う」みたいな顔をしてるところなんです。
もしかしたらシャロンって、死ぬまで自分が本当に望んでいるものを見つけらないんじゃないかっていう気がしました。
周りにはシャロンの望みを叶えてくれようとする男がたくさんいるけれど、
たぶん誰に何をしてもらっても結局満足することはできなくて。
人間誰しも、「何をしても楽しくない気分」のときってあるじゃないですか。
シャロンって、それが常態化してしまっている病気のような女性なんじゃないかなと感じたんです。
それはそれで可哀想な女性だと思うんですが、
そうは言ってもやっぱり好きにはなれないな~と思いました( ̄∀ ̄;)
翔くんとルイ
そして彩凪翔さんの演じたジゴロのルイ。
あーやなーぎーくん、あーやなーぎーくん(・∀・)
(おなじみガーリガーリーくんのメロディーでどうぞ)
翔くんのジゴロの説得力たるや!
本当にね~、このビジュアルの説得力ってすごいですよね~。
プロローグでノゾミーナと組んで踊るところがあるんですが、
最初オペラグラスで見ていたんですけど美しすぎて思わず肉眼に戻しましたもん(笑)(//∀//)
あれは間近で見すぎると良くないやつだ……皆既日食的なやつですよ……。
ルイってジゴロとは言っても決して悪い奴ではない、
クロードとも気持ちを通わせて不思議な友情が芽生える存在なので、
ただカッコ良けりゃいいってもんじゃないと思うんですが。
翔くんって不思議な生き物で、あれだけイケメンなのに人の好さがすごい滲み出てるんですよね。
自分に絶対的な自信はある、だけどそれで誰かを傷つけるようなことはしない、
そういう真っ直ぐさを持ったルイという男。
これまたイケメンなだけで演じられる役ではないんだな~と感じたのですが、
翔くんは本当にそんな「誠実なジゴロ」がハマっていた気がします。
むしろジゴロなのにルイの方がクロードよりずっと好感度高いですもんね(笑)。
だいもんとの掛け合いや男役2人で歌ったりする場面もすごく素敵で、
これからもこうやってだいもんと深く絡む役がたくさん見たいな~と思いました。
でもそろそろ観柳みたいな「何か憎めない悪役」とかじゃなくて「悪でしかないドロドロの悪役」も見てみたいな~(//∀//)
そういう役が経験できたら、翔くんもまた一皮むけるきっかけになりそうな気がします(* ̄∀ ̄*)
ということで、他にもフランソワーズのお兄さんのミッシェルを演じた真那春人さんを見ていて、
「兄さーーーーん!!(・∀・)」
って叫びたくなった話とかいろいろあるんですが、
長くなってきたので「琥珀」の感想はこの辺に致します(笑)。
ショーの感想はまた後日ヾ(* ̄∀ ̄*)ノ
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