優しさは伝わらない(「霧深きエルベのほとり」感想その3)
こんばんは。
七咲ぴえるでございます。
先日話しておりました映画、
「マスカレードホテル」と「ファンタスティックビースト2」、
金曜の夜と土曜にどちらも観てきましたよ!
いや~、「マスカレードホテル」の方はですね、
まぁ細かいこと言わなければ面白かったです。
「ホテルにはこんなお客さんが来るんだよ~」っていう小ネタとか、
木村拓哉さん演じる主人公の刑事の推理力を披露するためのこまごましたエピソードとか、
見ているときはちょっと蛇足に感じてもっと短くしてもいいんじゃないかって場面にも感じられるんですが、
最終的にはいろいろ回収されるための伏線だったのかな~と。
でも常々思うんですがこんないろいろ入り組んだ話を小説で読んで理解できる人たちってホントすごい……。
「ファンタスティックビースト2」の方はですね、
正確には「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」っていうタイトルですが、
ちょっとよく分かりませんでした(笑)。
一応こないだ放送された一作目はテレビで観ていたので予習は問題ないと思っていたんですが、
ハリポタシリーズも通して精通してないと分からない部分とかもあったのかな……。
ハリポタはピエールついこないだ一気に観たばかりのにわかだからさ……。
「もしかして間の3作くらい飛ばして観ちゃったのかな……?」って思うくらい「??」だったのですが、
終わって帰ろうとしたら周りの人たちが「よく分からなかった」「結局あの人は何者だったの?」という声があちこちから聞こえてきて、
「あ、これはかなりハリポタの世界に詳しくないと分からないやつだ」とある意味安心致しました(笑)。
まぁ貯まってたポイントでタダで観れたので良しとします( ̄∀ ̄)
でもBlu-rayレンタルになったらまたパート1から通して観直そう……(笑)。
「霧深きエルベのほとり」の世界
ということで本日は、先日遠征してまいりました星組大劇場公演、
「霧深きエルベのほとり」の感想の続きを書かせていただきます。
今回もネタバレを含んでおりますので、
未見の方はどうぞご注意いただけましたらとm(_ _)m
前回まではこの公演で退団される我らが「北関東の恋人」こと七海ひろきのお兄様演じるトビアス周りのことを書かせていただいたので、
今回は作品そのものや他の主要人物についての感想などのお話をさせていただこうかなと。
遠征してるときってちょっと非現実的な気分になっていたり、
特に今回はお兄様の退団公演でもあるのでなかなか冷静に観られない部分もあったのですが、
帰ってきて一週間経つと落ち着いて思い返しながらいろいろと「??」ってなる部分も出てきたりして。
たぶんそのほとんどは初演のときと現代との世情や価値観の違い、
あるいは作品の時代と現代との違いとかによるものなのかなと思うんですけどね。
そんな疑問の一つが、住む世界の違うマルギット(綺咲愛里さん)との恋から身を引くために、
敢えて金に目が眩んだ悪い人間を装ってマルギットたちのもとを離れたカール(紅ゆずるさん)。
キレイに別れてしまうとマルギットも自分との結婚を諦められなくなるから、
敢えて悪者になって自分とのことは忘れさせようとするカールの男らしさに胸を打たれました。
マルギットのお父さん(一樹千尋さん)から渡された手切れ金も、
最初から使うつもりは無いんだろうなと、見ている側には伝わりましたし。
しかし、カールはそのあと、再び海に出る前に酒場のヴェロニカ(英真なおきさん)に手切れ金を預け、
「いつかこの金をシュラックの家に返しておいてくれ」と頼むんですよね。
結果的にすぐにそのことはマルギットの知るところになり、
カールが悪態をついていたのは全て嘘だったということが分かってしまい。
「これじゃマルギットは結局カールのことを忘れられなくなるじゃん(´;ω;`)」って思ってしまいました。
完璧すぎるフロリアン
そんなマルギットの婚約者であるフロリアン(礼真琴さん)。
主人公とヒロインともう一人の男の三角関係って、
わりともう一人の男は悪い奴ってのが定番じゃないですか。
ライバルが嫌な奴だからこそ、観客は主役二人に感情移入しやすいですもんね。
ライバルの男にも彼なりの信念はあったとしても、
それが少なからず歪んだものだったりして。
でもこのフロリアンはそうではなく、
婚約者のマルギットのことを本当に大切に思っていて、
突然現れた恋敵のカールのことを敵視するどころか、
上流階級の他の人たちと比べても親切に接してくれる器の大きさ。
この構図がすごく珍しくて面白いな~と思いました。
「ライバル」だけど「悪役」じゃないんですよね。
で、このフロリアンについて、
「初演の頃は理想の男性として称賛されたけど、今回は『フロリアンちょっと怖い』という声をたくさん聞く。時代の変化なのだろうか」
みたいなツイートを見かけたんです。
このツイートを見たとき、「たしかに」ってちょっと思うところがあって。
フロリアンが怖いと感じている人と同じ解釈かは分からないのですが、
僕も完璧すぎるフロリアンに対して、
「この人は何かがきっかけで豹変するんじゃないか?」みたいな怖さを感じたんです。
たぶんそれって他人を簡単に信用できなくなっている現代ならではの受け止め方のようにも思えて、
良い人が良い人であることが難しい時代なんだな~とか思ったんですよね。
誰よりもマルギットに対する良き理解者で、
マルギットのことを愛しているけれどマルギット自身の幸せを誰よりも望んでいるフロリアン。
でももしかしたらいつか何かの拍子に、
「僕はこれだけ君のことを想っているのにどうして君にはそれが分からないんだ!?!?!?!?!?(# ゚Д゚)」
ってDV男になったりしないかという不安が消し去れず(笑)。
実際はフロリアンはそんな人ではないんだと思うんですが、
もし今の時代にフロリアンみたいな人がいたら「なんか信用していいか怖い」って思われてしまいそうで可哀想だなあと。
なぜマルギットとフロリアンはカールに会いに来たのか?
そしてそこから繋がるのですが、
一回目に観たときに一番疑問が残った場面が物語のラスト。
一度は屋敷から追い出したカールを追って、
マルギットとフロリアンが探しに来ます。
カールからあんな酷いことをされて言われて見限ったはずなのに、
どうして二人はカールを追いかけて来たんだろう?と疑問だったんです。
でも、フロリアンがどんな人かというのを考えていくと、
そこもちょっと納得できるようにも思えて。
フロリアンは本当に良い人で、自分でも「良い人間であろう」と努めて生きてきた男だと思います。
と同時に聡明なフロリアンは、冷静になればカールの悪態が身を引くための演技だということも、
最初からちゃんと理解することができたと思うんです。
けれど、マルギットを大切に思うあまり冷静さを失ったフロリアンは、
カールの本当の気持ちをすぐに感じ取ることができなかった。
カールが出て行ったあとに、そのことに気付いたフロリアンはどう思うか。
たぶん、自分で自分を許せないと思うんです。
だって、カールよりも自分の方がマルギットのことを大切に思っていることで自分がマルギットの隣に立つに値すると思っていたのに、
カールは自分が悪者になってまでマルギットの幸せを願っていたなんてことに気付いてしまったら。
これが普通の男だったらカールの気持ちには気付きもしないし、
例え気付いても「結果的にマルギットが自分のものになればいいか」と心の中に留めておくのではないかと。
けれどフロリアンは誠実であるがゆえに自分でそれが許せなかった。
おそらくカールの真意に気付いて、
マルギットに対してカールに会いに行くよう説き伏せたのもフロリアンだったんじゃないかなと。
と、これはあくまで僕の個人的な解釈ですが、
フロリアンがよくいる悪役的なライバルだったら、
結末は全然違うものになっていたかもしれないなーと感じました。
カールの真意
そしてもう一つ。
先に書いた「カールは身を引いておきながらどうして手切れ金をすぐ返してしまったのか」という疑問なのですが、
これもあとから落ち着いて考えたらちょっと分かった気がしてきたんです。
そもそもカールはヴェロニカに、
「いつかシュラックという家にこの金を返しておいてくれ」と伝えただけで、
それを「マルギットに返せ」とは一言も言ってないんですよね。
カールの本来の思いとしては、
手切れ金を受け取らないとマルギットも自分を忘れられないしお父さんも安心できないから受け取らざるを得なかった、
だけどこの手切れ金を使ってしまうわけにはいかない、
だからいつかこっそり「お父さんに」返しておいて欲しい、というつもりだったんじゃないかと。
「もしも自分が海で死んでしまったら、死んだ後もただの女たらしのゲスのままになってしまう。いくら自分でもそれはあまりに可哀想だ」
みたいな台詞があったと思うんですが、
さすがのカールも自分が決して金目当てじゃなかったことを誰かに知ってもらいたい、と願っていたんだと思います。
返された手切れ金をマルギットのお父さんが受け取ったとしても、
カールを忘れることが娘のためだと考えているお父さんはきっとそれをマルギットに伝えはしないとカールは思ったんじゃないでしょうか。
けれどカールの予想に反して、
マルギットはフロリアンと共にすぐに自分に会いに来てしまい、
ヴェロニカもマルギット本人に手切れ金を返してしまった。
もしカールが悪者になって、みんながそれを額面通りに受け取っていれば、
マルギットはフロリアンと幸せになることができたかもしれない。
でもカールとフロリアンの誠実さと優しさゆえに皮肉にもカールの意図をマルギットたちも知ることになってしまい。
結果的にカールはマルギットを失った悲しみを背負い、
マルギットもカールを忘れられなくなってしまい、
フロリアンは一生カールには勝てなくなってしまった自分の劣等感を抱えて生きることになり。
「霧深きエルベのほとり」という作品は、
優しさが生んだ悲劇の物語なのかも知れない、と。
「我が心、今も君を愛す」とマルギットに伝えたいと願っていながら、
それを「カモメ」に託そうという主題歌の歌詞は、
言葉を話さず伝えることはできないカモメに敢えて委ねている、
つまり結局はこの気持ちはマルギットに伝えなくていいとカールが泣いているようにも思えました。
はい。
初演も過去の再演も全然観たことがないので、
見当はずれな解釈もあるかと思いますが。
とりあえず以上がピエールが遠征で3回観劇できた中で感じた、
カールとマルギットとフロリアンの気持ちでございます。
古き良き時代に作られた美しい物語。
こんな作品がもし今新作として発表されたなら、
ちょっと地味とか暗いとかいう評価も受けてしまうかも知れません。
それが宝塚ではなく映画とかドラマとかだったら余計に今の時代には流行らない世界観かも知れません。
でもだからこそ、宝塚が宝塚としての存在意義を失わないためにも、
これからも宝塚ではこんな美しい物語がたくさん生み出されていって欲しいなと感じる作品です。
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